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 97年3月9日、日曜日。目を覚ますと正午だった。それでも行こうか?パリに留学に来た1年半前からずっと気になっていた場所へ。半年前に仕事にありついて引っ越してきたブリュッセルから。
 確かド・ゴールの命日は秋口で、しかも95年はド・ゴールの没後25周年だったかで、フランスの新聞各紙が特集を組み、僕に様々な知識を吸収させてくれたのを覚えている。そもそもこの没後25周年も言われるまでは忘れていたが、思い出してみるとそれは僕の年齢と一緒で、だからどうということはないが、一度気になると意外と引っかかりを残した。僕の修士論文は、ベルギーの第2次大戦中・戦後を代表する政治家、ポール=アンリ・スパークだった。彼が小国の発言権を獲得するために戦った、フランスの同時代を代表する巨象のような軍人・政治家が、ド・ゴールだった。普通は紹介の順番が逆だが、僕にとってはこうなのだから仕方がない。
 留学時代は、今から思えばずいぶん暇だったが、暇なときほど行動が起こせず、クルマを持っていなかったせいもあって、結局ド・ゴールのモニュメントには行かずじまいだった。

モニュメントを背にして、眺めるなだらかな丘陵。フランスの始祖クローヴィス戴冠の街、シャンパーニュのランスの南、ブルゴーニュの美食の都ディジョンの北。


エンジン・ルーム。注意すると斜め右奥、バッテリーの脇にゴム紐。
 それをこの、昼過ぎに起き出しておいて、今更わざわざブリュッセルから行こうというのだから、阿呆である。おまけに愛車ALFA146 1.6lはバッテリ近くで電気系統が断線していて、この2カ月というもの、取りあえず路上(オランダの高速道路だった!)でボンネットを開けて応急処置したときに巻いたゴム紐のまま、そのままなのに。少し前に準備した全欧州道路地図で、これまでになんとはなしに距離を測っておいたが、ブリュッセルからすっ飛ばして2時間半かかるパリより遠い。目測で4時間はかかりそうだ。往復最低8時間。午後1時にブリュッセルを出発したとして、帰宅は9時。ま、いいか。
 僕は、こうして Colombey-sur-deux-eglise に、予想より30分余計にかけて行く。するとモニュメントは小高い丘の上、そしてその丘は丘の一方の斜面にへばりついているその村の一番高いところであり、それ故にその丘に辿り着く10キロ手前から見ることが出来、Instituteを併設してシャルル・ド・ゴール基金が管理しており、周囲に錆びた金属の柵が巡らせてあって、おまけに午後4時で閉門していることを知る。もう一度、何れ来ることがあるのだろうかと思案しつつ、仕方がないので記念撮影して帰ってくるが、その間も意外と来訪者はぽつぽつと絶えることなく、ド・ゴールのモニュメントの偉容を讃えに来る。
遠くから

モニュメントを背に


お疲れさま。
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